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【雑記#1】成書の重要性、論文との使い分け、とかの話

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この雑記はトレーナーとして活動しつつ理学療法学生をしている筆者の私見です。
学も技術もない一個人の意見なので、小学生の感想文を読むように見守っていただければ……。

「成書」という表現は医師の方には伝わるし有名な概念なのだろうが、理学療法士やトレーナー(アスレティックトレーナー)の方の口から聞いたことが今のところない。

成書とは何か、とPerplexityに尋ねてみると、次のように返ってきた。

成書とは、以下のような特徴を持つ書物を指します:


定義と特徴
成書は、書物としてきちんと完成されたものを意味します。具体的には以下のような特徴があります:
権威ある著者: 該当分野の権威ある専門家や学者によって執筆されています。
信頼性: 内容が正確で信頼できる情報源として認められています。
包括性: 特定の分野や主題について、体系的かつ包括的に記述されています。
分量: 通常500ページ以上の分厚い本であることが多いです。


用途と重要性
成書は特に以下の点で重要な役割を果たします:
基礎知識の習得: 学生や専門家が基本的な知識を体系的に学ぶために使用されます。
参考資料: 研究や実務において、信頼できる参考資料として活用されます。
生涯学習: 専門家が最新の知識を更新し、継続的に学習するために読み返す対象となります。
医学分野では、成書は国家試験対策本ではなく、医学の原理原則が書かれた教科書を指すことが多いです。これらの成書は、専門家が生涯にわたって参照し、読み返す価値のある重要な文献とされています。

成書とはそもそも何か、という点についてはとりあえず保留しておいて、この定義に照らして成書の意義とかそういうものについての私見を語ってみたい。

理学療法やトレーニングにまつわる成書に関する問題

上記の定義に則って考えたとき、自分がよく使う「成書」は何だろうか、と考えてみた。

  • Standring S.の”Gray’s anatomy“(2021; Elsevier)
  • Neumann D.A.の『筋骨格系のキネシオロジー』(2018, 医歯薬出版)
  • Magee D.J.の”Orthopaedic Physical Assessment“(2021; Elsevier)
  • Gianguarra C.の”Clinical Orthopaedic Rehabilitation” (2017; Elsevier)
  • Ombregt L.の”A system of orthopaedic medicine” (2013; Elsevier)

果たしてこれらの全てが「成書」として定義されるかは疑わしい(いや、それは「教科書」だろ!というものがあるかもしれない……)。

これらはほとんど自分の足で揃えたものであるが(Gray’s anatomyだけは前版を譲ってもらった)、こう考えると日本語で書かれた本が少ない。

これは別によくある西洋かぶれの人がやるような日本sage&海外ageをしたいわけではなく、理学療法やアスレティックトレーニングに関する「成書」が和書としてほとんど存在しないためなのだ。
厳密には存在するのかもしれないが、少なくとも自分(関東在住)が池袋のジュンク堂新宿の紀伊国屋といった医書を豊富に取りそろえている書店を訪ねても、医師でいう『ハリソン内科学』のような本は理学療法・アスレティックトレーニング分野では見つけられない。

池袋のジュンク堂本店。6階に医書のコーナーがあり、非常に種類が豊富。
写真は2022年に筆者が撮影したもの。

この分野について、日本人が日本語で書いた成書が存在しないというのは、おそらく需要の関係もあるのだろうが個人的には何とかした方が良いのではないかとも思えてしまう。

自分は理学療法学生であり、運動器理学療法に興味があるから、運動器理学療法に関するいわゆるPTS向けの本も持っている。

これらの「教科書」はおそらく最低限の要素を(特に国家試験に受かるという意味では!!)記述しているのでこの内容に決してケチをつけるわけではないが、ではこの教科書の内容で臨床の不確実性に耐えうるかというとどうなのだろうか、とも思ってしまう。
(なまじ自分がトレーナーとして現場を経験しているだけに……。)

そう考えると、卒後研修の参考書としての役割から臨床家のレファレンスとしての役割を果たす成書が欲しいと考えるが、現時点ではそれに適した本は見当たらない。。。

凡人の自分が考えることはおそらく既に先人が考えていて、それでも無いということはおそらく需要が無いのだろうが、この問題は個人的に何とかならないものだろうかとも思ってしまう。

成書を使って勉強する意義とは何か

当然、成書はボリュームが尋常ではないので、それを必ずしもイチから最後まで読む必要はないし、まるでビジネス書を読むように「今は“Gray’s Anatomy”の42版を読んでるんだ♪」などといったら臨床で用いる知識を得るというよりも医学が好きな好事家のように見えるだろう。

第0回「医学書を通読するなんて、酔狂な暇人のやることである。」|Dr.ヤンデルの 勝手に索引作ります!|レジデントノート
学生時代、医学部には数名の「異常な読書家」がいた。やれ「ハリソンを通読したので、どこに何が書いてあるかだいたい覚えている」だの、「ロビンスを読むのが趣味だ、邦訳よりも原著が美しい」だの、ドヤ顔の好事家スタイルでマウントをとってくるヤカラがう...

しかし,個人的に成書で勉強をするという経験は必要なんじゃないかとも思う。

これは成書を頭から読むということではなくて、例えば特定のトピックについて成書の該当するセクションを読み、咀嚼し、自分の血肉にするという経験は、既にわかりやすく書かれた「参考書」を読むよりも最終的に記憶として残りやすい。
というよりも、こうすることでまた別の瞬間に「あー、そういえばこの話ってあの本に書いてあったような……」という引き出しができるように感じる。(少なくとも個人的には)

なまじわかりやすく書いてあると1回読むと何となく分かった気になってしまうという問題もある。(これも個人的な感想)
その点、成書は1回読んで理解できるのはほんのわずかで、実際は何度も読んでそれを自分の言葉で表現し直して、そうこうしているうちに他の知見に触れて「ああ、これこの前〇〇で読んだやつだ……!」となった瞬間に初めて真に「理解」することができる、ように思える。

筋肉と同じで、脳味噌も負荷をかけないと少なくとも知識の部分では成長できない性質なんだろう。少なくとも自分は。

とはいえ、成書で勉強するプロセスは非常に根気のいる作業であり、また物理的な時間も要する。
となると、既に臨床に出ている人にとってはそんなことよりもセミナーやわかりやすく手技やハウツーを書いてくれた参考書を読んだ方が臨床に直結しやすいし、時間効率も良い「勉強法」になるのだろう。

ただ、個人的には基礎を徹底的に固めて、その分野に関して体系的に理解した上で手技や技術といったメソッドの面を理解・習得したい、と考えてしまう。
というよりも、その方が手技も頭に入りやすい(なんでこうするのか、というところと紐付けて習得できるので)。

要は変に理屈っぽい人間なのだろう。

論文を読むということ

トレーナーであろうがなんであろうが、論文で最新の(state of artな)情報に触れることは必須だと個人的には考えている。
結果が出せていれば知識はいらないなどとは自分は思っておらず、むしろそのような人は自分の既存の知識や信念の体系を相対視できない危うさすら持っているのではないかとすら思う。

いわゆる教科書は基礎情報を記載しているが、しかし中にはレファレンスが全く更新されていなかったり、ひどいものだと参考文献が一切無いものもある。
(個人的には参考文献・引用が無いものに価値があるものはほとんど無いと思っているので、そのような本はまず選ばない)

これは別にエビデンスベースドな実践(EBP)をしなければならないからとかそういう話ではなくて、いち専門家として常にその分野に関しては突出していなければならないと考えているからであり、そう考えると教科書に加えて最新の論文をどんどん読み込んで最新の知見を蓄えておくべきだと感じるからだ。

とはいえ、論文を読むのは色々なハードルがある。
学校の友人から聞いたところ、

  • 英語が読めない(日本語もあるが……)
  • 読んでも理解できない
  • そもそも難しそうだから読む気にならない
  • 根本的に、どの論文を読めば良いかわからない

といったところが論文を読んでそれを実践の中に組み込むというプロセスのハードルとなるようだ。

ここで、読んでも理解できないという問題に関しては、個人的には場数と事前知識が物を言うのではないかと思う。

自分が初めて論文に触れたのは2020年で、JISSN(Journal of International Society of Sports Nutrition;国際スポーツ栄養学会誌)のポジションスタンドであったのを今でも覚えている。

Just a moment...

その当時ははっきり言って全く英語なんて読めなかったから(もちろん大学受験の時に少しは勉強したが)、記事の全文をDeepLで翻訳して、少しずつ翻訳をWordにペーストして読んでいった。

その頃は某ウイルスのパンデミック化でまともに部活もできなかったから、そこからは少しずつ論文を自力で読んでいく経験を重ねていった。

そうこうしているうちに4年くらい経つが、現時点でもお世辞にも「読めている」とは言えないだろう。
それでもわざわざ翻訳しなくてもある程度読めるようになり、こうして複数の論文を読み込んでひとつのトピックについてまとめられる(気になっているだけとも思うが)までになった。

そんな中、2022年に理学療法士養成校に入り、学校で基礎医学を勉強し始めると体系的に知識を身につけることの重要性に気づき始めた。

ちょうどその頃別のアメフトチームに帯同しはじめ、そこで今まで経験したことのない症例にぶち当たると、今まで論文で得てきた既存の知識にはかすりもしないことが何度もあった。
冷静に考えると、その当時対応した選手には本当に申し訳ないことをしたと思う。
この記事を書くにあたって、久し振りにその当時の記録を見てみたが、あまりにもひどいもので目を覆いたくなった。

その当時の自分は、結局のところアスレティックリハビリテーションに関する基本的なコンセプトを全く理解せず、特定の外傷・障害に関するハウツーしか学んでいなかったのだろう。

確かに特定のスポーツ外傷・障害に関するアスレティックリハビリテーションに関する知識は(少なくとも全くの素人よりは)あったのかもしれないが、結局のところもっと大本のところを何も理解していなかった

その理由は明らかで、そんなものは論文に書いていなかったからだ。

『呪術廻戦』にて、両面宿儺が「呪いのなんたるかをまるで分かっていない」と主人公の虎杖のことを評したように、「運動器評価・アスレティックリハビリテーションのなんたるかをまるで分かっていな」かったのだろう。

漫画『呪術廻戦』より。

そういう情報は全て教科書や成書に書いてあって、「そんなものは知っていて当然」として論文の記述は進むのだ。

だからこそ、教科書や成書といった一見実利的ではないものを丁寧に読んで理解することも必要なのだと、今になってようやく理解した。

論文は非常に価値があり尊いものであるが、しかしそれだけを読み込んだからといって、必ずしも体系的な知が得られるわけではない。

臨床で生じたクエスチョン(いわゆるクリニカルクエスチョン)を解消しようと論文を探してみても載っていない時、以外と成書に当たり前のように書いてあるというのはよくあることである。
(普通にしっかりと教科書などで勉強している人にとってはそんなことは無いと思うが……)

教科書や成書などで体系的な知を得た後、その上に肉付けするように論文を読んで成書にはまだ載っていない情報にも触れておく、というのが良いスタイルなのではないかと感じている。

後記

成書のありがたさや良さについて蕩々と語ってみたものの、ベストな勉強法というのは人によって異なるようである。

VERKと呼ばれるアンケートを実施すると、自分がどのように勉強するのが性に合っているのかをそれとなく把握することができる。

VARKアンケート - VARK

余談だが、筆者はマルチモーダル型でその中でもやはり読む/書く、見るパターンでの学習が最も性に合っているらしい。

結局はこのような個人に合った勉強法で勉強していくことが最も効果的であろう。

特に読んで理解するような人だと成書は良い……かも?

いずれにせよ成書は持っておいて損ないので、良い本は積極的に積ん読しておこう(身も蓋もない結語)。

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